過去を振り返ったら前を向くしかなかった

過去を振り返ろうとしましたが現実が一番でした。

文字通り「山陰」の洗礼を受ける

今年の夏休みの話。

最近息子と2人だけで帰省をする時は飛行機を使って移動していた私。

今回も夏休みあちこち移動して、実家からの帰りは飛行機を使って羽田までと計画していました。

我が地元の空港は山の中にあり、雲海とか天空の城とかで有名な場所にあるので、実は時期によっては霧との戦いだったりします。(雲海の風景はそれはそれで美しいのですが)

なので、タイミングによっては「霧による視界不良のため」飛行機が欠航になることがしばしば。

でも10年ほど前から設備が良くなった関係で、霧の場合でも運行されるケースが増えて来ました。

今まで私も何度と飛行機を使っていて欠航なんて無かったし、よほど台風とか来ない限りは大丈夫でしょうと大らかに気構え。

お盆の親戚との集まりでも「飛行機って言ったって、霧で飛ばないことがあるんじゃないの?」と話が出て来ましたが、「いや、最近は結構大丈夫になってきたんだよー」と返していたり。

 

そして出発当日の朝、JALからの一通のメール。

 

「天候調査のおしらせ」

【天候調査中】
 但馬空港 霧のため天候調査中です。

JALのホームページに飛んでみたらば

霧の為使用する飛行機が到着できない場合欠航になります。

うおー…きたーマジかー

 

今回、伊丹〜羽田間のチケットも手配していたので、自分一人なら「空港行って代替えのバスに期待しようかな!」となるかもしれませんが、さすがに2歳児連れてそれは無理があるだろうってことで、早々に飛行機は全行程キャンセル。JRを使って、陸路での帰還となりました。

https://www.instagram.com/p/BX6w5UNgAeT/

結果、この便は欠航となり、手数料無料での払い戻し。伊丹〜羽田間も普通にキャンセルとはなったものの、特便割引でチケットを買っていたので、手数料は思っていたより少なくて済みました。良かった。

 

この空港が出来て20年余。

思い返してみれば、成人式のお祝いで無料航空券とかいただいたりしましたが、あれは使ったんだっけかどうなんだっけか。

羽田との直行便が出来れば、こりゃもうありがたい話ではあるなあなんですが、今のご時世でも霧との戦いを強いられるこの土地は、もはや幻の場所と言ってもいいのではないでしょうか。

 

妄想昔話「うんちくんのぼうけん」

気がつけば8月ももうすぐ終わり…不安定な天気が続きますが、少しずつ夏の終わりが見えてきました。
世間の子供たちが夏休みに突入してからというもの、いつも行くお昼ごはんスポットの風景もなんだか変わってきまして。
普段なら大人一人客が殆ど、子連れがいても一緒にいるのは小さい子、みたいな。
それが長期休みに突入して「こりゃ平均年齢がぐっと下がったね!」と言わんばかりに若者で溢れかえってます。若さを吸い取ろう。

そんな折、別に意識して聴いてるつもりはないのですが、みんななかなかなセンスでトークを展開させています。
最近すっかりおしゃべり上手になってきた息子も既に独自の世界観を持っているようで、トミカ片手にじゅうたんや布団の上を走り回り、「ここはね、くうこうなの。まちだくうこうなの。(?)」などと様々なストーリーを繰り広げています。
はて、私が小さい時はどんなもんだっただろうかと思い出してみると、そういえばよく妄想昔話とかホラ話とかなんとか色々頭の中で巡らせていました。
その中でも大作だったのが「うんちくんのぼうけん」

 

日本一楽しい漢字ドリル うんこかん字ドリル 小学1年生

日本一楽しい漢字ドリル うんこかん字ドリル 小学1年生

 

今でこそこんな商品があったりして(企画した人天才だと思う)、大分市民権?は得てますが、はるか昔から子供のテンションが異様に上がるワード「うんこ」
私が小学校に通っていた当時、通学にかかる時間は徒歩で1時間近く…

そんな帰り道で何をするかというと、友だちと一緒に喋りながら帰るか、道草食うか、1人で帰るならば妄想に耽るしかないわけです。
妄想に耽りながらの徒歩通学1時間…時間が有り余ってる若者素敵…
自分の脳内で様々な想像やら妄想やら自分会議やら、様々な世界を繰り広げるわけですが、そこで思いついた物語。

ものを食べ、そして身体にとどまり、
外に飛び出したあとは水で流される。

正直細かなストーリーまでは覚えてないもんですが、生理現象として誰もが体験しているであろう物事を、さもダイナミックに、大河調に、波乱万丈なスペクタクルロマンに仕上げ、それを友だちに話しては爆笑を誘っていた。そんな思い出があります。
(そして思い出は美化される)


3度目のアニメ化!な魔法陣グルグルの録画を最近になって観てるのですが、息子も視覚的にわかりやすいギャグやキャラクターで笑い、「おならぷう。」のワードで大爆笑したりと、やはりなんていうか琴線に触れるというか、単純な興味は共通する部分があるもんだなあと思ったりします。
正直お上品な内容では無いけれど、私が男の子の親になるべくしてなったのだろうかということと、無駄な時間は本当に貴重で大事だよということ、そしてうんこもなかなか馬鹿には出来ないということを改めて気付かされた一コマでした。

進路選択と進学と仕事のタラレバ

このブログの趣旨にぴったりではないか!な、今週のお題「私のタラレバ」話。

「あの時こうだったら」とか「こうしていれば」とか、自分にとって大きなことも小さなことも取り上げていたらキリがないのだけれども、常々思うのが「学生時代の進路選び」について。

少し前まで「今の選択とは違う道を選んでいればどうだったのだろうか」なんてのをよく考えていた。

元々私は、「ピアノを弾くことが好き」で「本が好き」で「作文を書くことが好き」で「絵を描くことが好き」だった。どれも満遍なく好きで、悪く言えばどれも特段秀でたものはなく、「これから大人になっても細く長く『好きなもの』と付き合えて、あわよくば飯の種になればいいなあ」ぐらいな感情を持っていた。

小さい頃は「漫画家になりたい」とか言っていて、今となってみれば、似たようなことを言っている人は世の中にたくさんいるようなもんでしょと思ってみる。

小学生の頃はそれぐらいフワッとしたものでも良かったけれど、中学生となると「進路」についてもう少し真剣に考える必要が出てくる。高校への進学はどうする?普通科?それとも専門的な勉強を始めるか?

この時の私は「この先勉強するなら美術より音楽」という選択をした。美術を勉強したところで、この先で得られるものは限られているだろうし、音楽を勉強しておいた方が、今やっているピアノを生かした仕事をそのまま続けられるだろうと思っていたからだ。ピアノ講師然り、音楽教師然り。

高校は普通科のある学校に進学し、音大受験を視野に入れた勉強を進めてきた。そこで分かったことは(既に前から薄々気づいていたことではあるけれど)、「私はそこまで音楽に対して『特化した力』を持っていない」ということ。演奏能力然り、元々の素質然り。プロの音楽家になろうというつもりはハナからないので、「音楽をベースにして教える」という軸をもって、今後の進路を考えていこうと音楽学部のある大学へいくことにした。

大学に進学してみれば、当然だけど周りは「音楽」を勉強する人たちばかり、音楽と共に生活するのが環境で。そうすると「私自身が持つ力やキャラクター」というものが少しずつ見えてくると同時に、「音楽というフィルターを取り払った時、私が本当に求めているものは何か?」というものが少しずつ見え始めてきた。

音楽を軸にして学ぶということはもちろん好きで、「教える」という仕事にも興味はあるけれど、特性云々はさておきとしても、自分が本当にやりたいことは他にあるんじゃない?と思い始めてきた。

「作文を書くのが好き」な私は、当時最盛期を迎えていた「テキストサイト」をやってみたり、「本が好き」な私は、出版の仕事にも少しずつ興味を持ち始めた。

そうなると、この先「散らかった進路選択」になることは目に見えていて、卒業間近になっても「自分はこの道で行く!」というのがビシッと決められなかった。

最終的に「教える仕事」と「本の仕事」を選んだ私は、細々とアルバイト兼業生活をしていたのだけれど、「実家に帰ってピアノ講師をやっていれば、もっと違った生活をしていたのだろうか」とか「もっといえば、進学する時音楽以外を選んでいたらこうなっていたんじゃ」とか「大学もここじゃなくて他にしていれば」とかモヤモヤ思うことが多かった。今になってみれば「本人のやる気次第でどうにかなるし、環境は二の次」とは思うのだけれど、その当時の私は「おかれた環境」で全てが左右されると思っていたのだった。

それでも、ずっと学んでいた「音楽」との縁を切りたくないという思いから、趣味の範囲で合唱や踊りを始めてみたのだけれど、ここから生まれた繋がりが、今の私にとって一番大きなものになっている。現状、私にとって「音楽」は「飯の種」にはなっていないけれども、人の繋がりが出来、自分にとっても「新たな興味」がここから更に増えていっているので、「音楽と付き合うこと」を完全に諦めなくてよかったなと思ってみる。私にとっての「音楽とのちょうどいい関係」はこのレベルだったんだろう。

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なんにせよ「あれが良かった」と思うことは数あれど、これまでの選択があるからこそ今の私があるわけで、最終的に「音楽と付き合いながら本の仕事が出来ている」現状はそこまで悪いものではないかなと思ってみる。こんな私の道をそこまでうるさく言わなかった親に感謝である。お仕事がんばろ。